「好き」は大きなエネルギー
──先生は神戸の名門、灘中・灘高のご出身ですが、どのような学生時代を過ごされてきたのでしょうか?
中学・高校時代はテニスに明け暮れていましたね。硬式テニス部の副主将として、高校では県ベスト4までに進むほど熱中していました。高校2年の後半に引退して、受験勉強に取り組み始めたものの、模試の成績は学年の下位レベルでひどいものでした。
さすがに「この成績ではまずい」と思い、重い腰を上げて猛勉強を始めたところ、成績はみるみる上がっていきました。その頃までは文系で、法学部への進学を考えていた時期もありましたが、高校3年になるときに周囲からの勧めもあり、理系に転じて医学部を目指すことにしました。
──灘高の同級生には、すごい生徒がたくさんいたそうですね。
はい。異能と言いますか、本当に天才肌の学友がゴロゴロいました。理論物理学を趣味みたいにしているとか、整数論の難題を一晩で解いてしまうとか…。物理や数学では、百年かかっても彼らに太刀打ちできないと思いましたね。
でも、自分の好きな化学だけは負けませんでした。高校2年で高校の化学はマスターしていて、大学生用のテキストで勉強していましたから。テストでも化学だけは満点で、ほかの誰にも負けないという自負がありました。
進学については、理学部で化学の研究をするという道もありましたが、医学部を選んだのは、「化学好き」をとことん突き詰めてそれを医学や薬学に応用できればと思ったからです。
──化学にそれほど興味を持ったのは、いつ頃からでしょうか。
小学生ですかね。当時は化学部に所属していて、化学物質を扱うのが好きな子どもでした。ただ、中学校で受けた化学の授業が正直ちょっと物足りなくて。化学は物自体の変化について追究する学問ですが、その「化学の持つ醍醐味」が、学校の授業ではどうも味わえなかったんです。
ならば、独学でマスターしてやろうと。父親にねだって化学の本や実験に使うための材料を買ってきてもらい、一人で実験に没頭していました。特に『化学精義』という参考書がとても面白くて、眠るのも忘れて読みふけることもありました。
──「好き」という気持ちは、学ぶパワーになるんですね。
「好きこそものの上手なれ」と言いますが、自分から進んで取り組み始めると、どんな分野でもすごく楽しいんですよ。何をするにせよ、一番のエネルギー源はやっぱり「好き」という気持ちだと思います。
自分自身の研究をここまで続けられたのも、ベースには「自分が好きなこと」が一番にあったからだと思います。研究は失敗のほうが多いですし、何度も挫けそうになることはありましたが、それでも何十年も続けてこられたのは、やはり「好き」が支えになっていたと思います。
活躍の場は「世界」にある
──世界に誇れる日本人研究者として、小林先生は子どもたちの憧れです。夢に向かって頑張る彼らに、ぜひメッセージをお願いいたします。
私が研究者という立場だから言えるのかもしれませんが、若い人たちには、世界にも目を向けてほしいですね。
たとえば研究分野もそうですが、最終的にはやはり世界で戦わなきゃならない。自分の能力や生きるべき範囲を、「ここだけ」とか「日本だけ」とか考えずに、もっと視野を広げてみてほしいと思います。そのためには、自分が本当に好きなものや頑張れるものを見つけて、それをとことん伸ばすのがいいですね。
あと、世界に出ていく上で欠かせないのが「英語」です。皆さんを勇気づけたいから言うわけではないんですが、英語に関しては、私は本当に劣等生だったんですよ。高校時代はテストの点数が半分以下で、ひどいものでした。
実は先日、母校である灘高で講演する機会があって、後輩たちにはこう話しました。「英語はコミュニケーション手段だから、いざとなったら迫力と気合いで通じるよ」と。「自分が言っていることを聞かんとあかん!」と相手に思わせるような迫力をもって話すこと。
もちろん英語が上手くなりたい人は相応の努力をすべきですが、「自分の言いたいことを伝える」だけなら、あまりハードルを高くせず、どんどん積極的にコミュニケーションを取っていけばいいと思います。
(2023年12月発行 キッズジャーナル vol.17より)
PROFILE
小林久隆(こばやし ひさたか)
医学博士 / アメリカ国立衛生研究所(NIH)/ 国立がん研究所(NCI)主任研究員 / 関西医科大学 特別教授 光免疫医学研究所 所長
1961年兵庫県西宮市生まれ。87年京都大学医学部卒。放射線研究医を経たのち、91年に同大学院内科系核医学専攻へ進学。95年に同修了、医学博士号取得。同年に渡米しNIH臨床センターフェローに。98年に帰国し、京都大学医学部助手を経て、2001年に再渡米、NIH/NCIにシニアフェローとして勤務。05年から現職に。11年、光免疫療法の論文が米医学誌『NatureMedicine』に掲載される。光免疫療法の研究・開発により14年にNIH長官賞、17年にNCI長官個人表彰を受ける。他に7回のNIHTechTransferAward等を受賞。